途方もなく見えても、すべてはキリがある




目標を掲げても
むしろ掲げようとしても
「めちゃくちゃ先長い
ていうか見えない」
と思っていたけれど

自分の道を振り返ると
目標に対しての数値はなくても
自分の時間や回数は単位があって
やったことは無駄にならない

そして逆に言うと
自分の時間や回数は測定可能で
勝手に積み上がっちゃうので
注意が必要

ということを考えたので書いておきます

山頂は霧がかかっていて、見えなかった

映像制作で監督をやろうと思ったら
撮影、照明、脚本、キャスティング、
その他もろもろの知識と経験が必要で

さらに予算管理もしなくてはならないし
営業もプレゼンスキルもいるだろうし
会社をうまく渡っていくスキルもいるし・・・

と映像ディレクターを目指した時
山頂までの道はおろか
山頂には霧がかかっていて
私にはまっっったく何をすべきかが
見えなかった

今も道筋はわかりません、知りません

でも、見えなくてもやるしかない
山頂に行きたいのなら

当時の自分にアドバイスするなら

前が見えなくても、行け!
というのは乱暴というか
「それで行けたらいっとるわ」
という話な気がするのでもう少し

昨日彼氏(映像業界が長い)に聞いてみたら

「山頂に着いても、
他の山の高さを知るだけ」

「上を見ても下を見てもキリがない」

「まじバカボンド」

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と答えられました

このことからいえるのは

・山頂に着けば、ものさしを得られる

・山頂に着かない限り、ものさしすら得られない

結局結論としては
「前が見えなくても、行け!」
と変わりが無いのだけど

「自分の大きさを知る」のがスタートで

あなたの大きさなんて誰も知らないし
興味があるのはお前だけだから
あなたがやるしかないんだよ

山頂への道は計れないけど、来た道の道程は計れる

最近ブログで振り返りをしてて
わかったことは

実は、時間や経験も
数えられるということ

時間や経験ってぼや~っとしていて
物質に例えるなら「水」
のように思っていたのですが

どちらかというと「塵」で
確実に積もるものなんだな、と

すべての記録を取ることは必須ではないけど
取った方がいいんだろうなと思う

そうしないと、所要時間が把握できないし
自分が何に影響を受けたきたか
わからなくなってしまうから

自分の時間と回数も有限

記録をしていたわかったことが
もうひとつ

それは残り期限と回数だ

私の人生はいつか終わり
そしたら享年何年
という「長さ」が確定する

先に教えて欲しいけど
それは無理

記録をつけていると
「私は1年に○個しか映画を観れない」
「私は1年にいくらしか趣味に使えない」
という有限数を思い知る

時間や予算や気力も、有限だから

まとめ

何が言いたいかわからなくなってきたので
まとめます

・目標への時間が読めなくてもやるしかねえ

・目標達成した時がスタート
その時、おぬしはものさしを得れるであろう

・回数がわかんなくても
塵は確実に積もるから
安心してやろう

・自分の時間、経験回数も有限だから
塵は選ぶべき

・無意識に積もる塵に気をつけろ










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